保科アカデミー室内管弦楽団 “アンサンブル=ハルモニア”
この団体は、岡山大学交響楽団OBと一部現役部員の協力を得て1994年に結成されたユニークなオーケストラである。
メンバーは、公務員・会社員・教員・医師・専業主婦・大学院生および大学生と様々であるが、共通しているのは全員岡山大学交響楽団の関係者であり、『保科節』(ほしなぶし=「保科理論」に基づく音楽解釈と演奏)に深く共鳴している点である。岡大オケとは、また違うコンセプト(編成・曲目・練習時間など)でその実践を目指すのが目的である。
岡山大学交響楽団は、60年を超える歴史と数々の伝統を有する大学オケである。年2回の岡山シンフォニーホールでの定期的な演奏会のほか、1983年以来5年毎7回の大阪ザ・シンフォニーホールでの自主公演や、1987年の第2回全日本大学オーケストラコンクールでの第一位受賞を含む、3度の東京での演奏により、全国的にも名を知られるようになっている。
その岡大オケを45年以上もの永きに渡り、手塩にかけて育て上げたのが、常任指揮者保科洋氏である。いうまでもなく『保科アカデミー室内管弦楽団』という名称は、氏の教え子たちの集まりという意味であり、「ハーモニーを重視しながら緻密な演奏を目指す」という氏の演奏理念を強調するのが“アンサンブル=ハルモニア”というネーミングの由来である。
定期演奏会の他、『城崎町町民歌』のCD収録をはじめ、中学音楽の共通鑑賞教材であるベートーヴェンの交響曲第5番『運命』第一楽章を利用したソナタ形式解説のためのビデオと、保科洋氏による指揮法解説ビデオ(何れも保科洋氏とビクターエンタテインメントとの共同企画)の収録のための演奏を行い、専門家からも高い評価を受けている。
社会人が中心で、平均して月一度の練習で、どこまでできるのか未知数であるが、共通体験・共通言語を持つ者同志で楽しみつつ、真剣に『保科節』の実践に取り組んでいる。
昭和11年東京に生まれる。両国高校卒業後,昭和29年東京芸術大学作曲科に入学。昭和35年同大卒業とともに,毎日コンクール作曲部門管弦楽曲の部第一位入賞。昭和38年には,文部省芸術祭奨励賞受賞。東京音楽大学,愛知県立芸術大学を経て,昭和58年兵庫教育大学教授。平成13年3月定年退官し同大名誉教授となる。作曲・指揮の両面で活躍。
吹奏楽の作曲においては,日本を代表する一人で,海外でも評価は高い。全日本吹奏楽コンクール課題曲も過去3回委嘱されている。
作曲家としての見地から,また多くのアマチュア音楽団体の豊富な指導経験と,理論的根拠に基づく独自のユニークで説得力のある音楽解釈は,近年注目を集め高く評価されている。それらの集大成として音楽の友社より『生きた音楽表現へのアプローチ』=エネルギー思考に基く演奏解釈法=(保科 洋著)が出版されている。類書のない理論的音楽解釈法として,アマチュア音楽愛好家はもちろん専門家の間でも評判になっている。
主な作品に,「カタストロフィ」「古祀」「吹奏楽のためのカプリス」「愁映」「風紋」「パストラーレ」「祝典舞曲」「響宴」「管弦楽のための変奏曲」,創作オペラ「はだしのゲン」などがある
昭和40年岡山市に生まれる。高松中学校吹奏楽部にて奥原弘己氏に指導を受け当時新設の岡山一宮高校に進学。昭和58年岡山県では初の学生指揮者による吹奏楽コンクールA部門金賞受賞として注目される。
昭和59年岡山大学医学部入学と同時に,岡山大学交響楽団にトランペット奏者として入部。現役時代には学生指揮者を務め,昭和62年の第2回全日本 大学 オーケストラコンクール第1位獲得に貢献する。卒部後サブコンダクターとして,常任指揮者保科洋氏のアシスタントを行い今日に至る。
平成6年当団を同級生後輩らと独自に組織し,責任者兼指揮者として活動。第4回定期演奏会後,医学部助手を休職しアメリカ留学(カリフォルニア大学バークレー校客員研究員)。その間当団も活動を停止。帰国後活動再開。
トランペットを鈴木勝久氏に師事。指揮法を奥原弘己氏,保科洋氏,David Milnes 氏に師事。
現在川崎医科大学総合医療センター病理科准教授・病理部部長。医学博士,病理専門医。